【2026 SW】東北旅行1日目 国指定史跡 達谷窟毘沙門堂 2026.09.19 

御朱印散歩
2026年シルバーウイークも終わりまして楽しかった思い出と
共に疲れが残りました(笑)
まぁ何日か経てば疲れは取れてしまいますが
思い出はず~~~っと残っていてほしいもんです(^^♪
という事で今年の遠征地も慣れ親しんだ東北地方でした
訪問個所が多いため何回かに分けて大雑把にアップしたいと思いますので
サラッと目を通して頂けると嬉しい限りです
国指定史跡 達谷窟毘沙門堂
岩手県西磐井郡平泉町

達谷窟毘沙門堂縁起

およそ千二百年の昔、惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、
良民を苦しめ女子供を さらう等乱暴な振舞が多く、
国府もこれを抑える事が出来なくなった。
そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に蝦夷征伐の勅を下された。
対する惡路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清見関まで進んだが、
大将軍が京を発するとの報を聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守を固めた。
延曆廿年(八〇一年)大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末打ち破り、
惡路王・赤頭・髙丸の首を刎ね、遂に蝦夷を平定した。
大将軍は、戦勝は毘沙門様の御加護と感じ、
その御礼に京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、
百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所とし、
窟毘沙門堂(別名を窟堂)と名付けた。
翌延曆廿一年(八〇二年)には別當寺として達谷西光寺を創建し、
奥真上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。
降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進。
奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公は七堂伽藍を建立したと伝えられる。
文治五年(一一八九年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、
その模様が「吾妻鏡」に記されている。
中世には七郡の大守葛西家の尊崇厚く、延徳二年(一四九〇年)の大火で焼失するが、直ちに再建された。
戦国時代には東山の長坂家より別當が赴き、多くの衆徒を擁したが、
天正の兵火により、岩に護られた毘沙門堂を除き、塔堂楼門ことごとく焼失した。
慶長廿年(一六一五年)伊達政宗公により毘沙門堂は建て直され、
爾来伊達家の祈願寺として寺領を寄進されてきた。
昭和廿一年隣家から出火。
御本尊以下二十数体を救い出したが毘沙門堂は全焼した。
昭和丗六年に再建された現堂は創建以来五代目となる。
内陣の奥に慶長二十年伊達家寄進の厨子を安置し、
慈覺大師作と伝える御本尊毘沙門天・吉祥天・善𧸐師童子を秘佛として納める。
次の御開張は令和廿四年となる。
毎月三日の月例祭・春秋の大祭を始め多くあるが、
特に修正会は正月元旦から八日迄行われ、慈覺大師から二世別當恵海大和尚が伝え、
千余年も続く神事である。
*達谷窟毘沙門堂 ホームページ*

前夜9時ごろ家を出て東北道の鶴巣PAまでひた走り車中泊
第一目的地の達谷窟毘沙門堂へ無事到着しました
入口の寺務所にて拝観料大人500円を納めて
見学の始りです
到着する前に車窓から岸壁と毘沙門堂が見えていたんだけど
圧巻な景観でした

それでは行ってみましょ
入り口から三基の鳥居が見えていて
壱之鳥居・弐之鳥居・三之鳥居と名付けられています
壱之鳥居は石造り弐之鳥居、参之鳥居は木造で
それぞれ特徴的な扁額が掲げられています

見た目弐之鳥居参之鳥居は似てますが
弐之鳥居の方が贅沢な造りで重厚感が有ります

納札所

歴代の水鉢は先代が割れてしまったようだ

参之鳥居まで来ると毘沙門堂の姿がはっきり見えて来る

窟毘沙門堂は約150メートルの長さと
最大35メートルの高低差を持つ岸壁の下にあり
「懸崖造り」の窟堂としては日本一の規模を誇るそうです
目の当たりにしてみるとすごい迫力

凄いめり込み方の毘沙門堂
よくもまぁこの岸壁に合わせて建てられますな~
技術に敬服(__)

中は撮影禁止✖
しっかりと参拝して来ました
階段が急なので気をつけてね

京都の清水寺の舞台を摸した九間四面の造り

本堂階段を下りて右に進むと
岸壁の上部に「岩面大佛」と呼ばれる
高さ16.5メートル、顔の長さ3.6メートル、
肩幅9.9メートルの大きな磨崖仏が彫られている

胸辺りから上の大日如来または阿弥陀如来といわれる

毘沙門堂の前庭の「蝦蟆ヶ池(がまがいけ)」と呼ばれる池の
中島には「辯天堂」が建っていて
橋の袂に「仲良き男女は別々にお参りして下さい」
との告示された立札が有る
一応一人ずつ参拝しました(笑)

モミジも色付き始めて来た

順路に沿って今度は金堂へ

と、その前に「姫待不動堂」が鎮座

 蝦夷の首長・悪路王の伝説が残された堂。
悪路王は、京からさらってきた姫君を「籠姫」に閉じ込め花見を楽しんでいた。
姫君は逃げ出したが、滝で待ち伏せされて再び捕らえられてしまった。
その滝は「姫待滝」(ひめまちのたき)と呼ばれ、
のちに不動堂が建てられたのだという。
姫待不動堂の本尊は、「姫待滝」に祀られていた姫待不動尊。
*ネット資料より抜粋*

不動堂左に鐘楼

鐘楼堂を進んで見えて来たのが金堂

古くは講堂とも呼ばれ、延曆廿一年(八〇二年)に達谷川対岸の谷地田に建てられたが
延徳二年(一四九〇年)の大火で燒失した。
江戸時代には現在地に建てられた客殿が金堂の役割を果たしていたが、
明治初年に廢佛毀釋で破棄された。
昭和六十二年に再建に着手し、平成八年に完成した。
桁行五間梁間六間の大堂で、後世に技を伝える為、昔ながらの工法を用いて作られた。
本尊は眞鏡山上の神木の松で刻まれた四尺(約一二〇㎝)の藥師如來である。
*HPから抜粋*

金堂前には樹齢約500年の大オッコウがあり
キャラボクとも呼ばれるイチイの変種の御神木である

姫待不動堂と鐘楼

これにて初日一ヶ所目の達谷窟毘沙門堂の見学はおしまいです

隣接する御共所も見学
ここは神仏へ供えるお餅をつくなどの神事行事が行われるそうです

それでは次の場所への移動しましょ🚙

****訪問有り難う御座いました****
また遊びに来てね(@^^)/~~